2012-08-24 第180回国会 衆議院 文部科学委員会 第8号
サッカー場は私は時間的には訪れることができなかったんですが、やはり、今おっしゃるようなバリアフリーだとか、誰しもがそうした親しみの持てるスタジアムにしていかなければなりませんし、そして、もしも、二〇二〇年、成功したとして、東京オリンピックが終わった後も、本当にスタジアムの周辺をみんなが利用し、そしてまた、先ほどの答弁のように、文化的な施設もそこに織り入れていこうというのは安藤忠雄先生を中心に今考えてもらっておりますので
サッカー場は私は時間的には訪れることができなかったんですが、やはり、今おっしゃるようなバリアフリーだとか、誰しもがそうした親しみの持てるスタジアムにしていかなければなりませんし、そして、もしも、二〇二〇年、成功したとして、東京オリンピックが終わった後も、本当にスタジアムの周辺をみんなが利用し、そしてまた、先ほどの答弁のように、文化的な施設もそこに織り入れていこうというのは安藤忠雄先生を中心に今考えてもらっておりますので
建設をするワーキングチームには安藤忠雄先生に設計の経験を生かして一つのチームをつくっていただき、そしてスポーツの分野におきまして、使用する分野におきましてはサッカー協会の小倉会長にそのワーキンググループの責任を持っていただくことにいたしました。
この間、三宅一生先生と安藤忠雄先生と御一緒しましたけれども、クリストさんという方が文化をつくって、こういう地域を幾つかモデルにして、こんなに上がりますよというものを国民の皆さんにお示しをしたいと思いますので、ぜひまた和歌山でも御紹介をいただければと思っております。
安藤忠雄先生がつくられた西田幾多郎さんの哲学館にもローカル線で行ってまいりましたけれども、町並みも、古いものと新しいもの、すばらしいし、私の新潟県にも、それから河本副大臣のところにもすばらしい文化があって、そちらは科学技術のSPring8がございますね。私も大臣中あっちこっち、本当に現場を見せていただいた。
○事務総長(川村良典君) 元議員三木忠雄先生には、去る二月二十七日午前四時十分、港区の虎の門病院において逝去されました。謹んで御報告いたします。 本委員会の理事会におきましては、協議の結果、お手元にお配りしてございます案文の弔詞をささげることに決定いたした次第でございます。
ファシズムのあらしの中でのアインシュタイン、そしてまた東京大学の矢内原忠雄先生たちの戦争中の苦悩を考えますと、このテニュア制は絶対必要なものと私は思っておりますが、この点、文科省はどうお考えでしょうか。
現在は週三回、一回二単位時間で先生が訪問をしてくれるということになっているということですけれども、福井大学の教授である加藤忠雄先生は、訪問教育の指導においては、通常の場合だがということを断りながら、対象児の発達の状況を見てみると指導内容の密度を濃くすること及び長時間にわたることはできない、なかなか難しい、すなわち単位時間に指導し得る内容量は限られるし、また単位時間自体も長くすることができない、したがって
先般も淡路の花の博覧会を準備しておりますところへ行きましたら、のり面に、安藤忠雄先生が、それに向く植樹をなすっているのを実際に見せていただきました。 そういう河川とか水とか、この美しい国土を保全するために、先生の御提案は、子供の成長に大変影響のあるものと、自然を愛する子供たちを育てるための教育の一環として建設省も大いにそういう面での協力をいたしたいと思っております。
この座長は、前慶応義塾長の石川忠雄先生でございます。この検討テーマの柱は大きく二つありまして、一つはこのセンターが行うべき事業の内容、もう一つは運営や組織のあり方でございます。 この有識者会議は、昨年の十一月末に第一回の会議が開かれまして、以来現在までに四回開催されております。これまでの主な議題はセンターの事業内容についてのものでして、最近ではその運営のあり方も含めて検討が行われております。
これもけさの毎日新聞ですけれども、建築家の安藤忠雄先生が、この震災後の都市の再開発に関しては、とにかく人間の生活を中心にした再開発を進めるべきではないか。これまでは何事も経済優先でやってきたという日本人の価値観、これが大きく変わらなければならないのではないか、都市づくりもですね。
私の尊敬する倉石忠雄先生が農林大臣でローマに行ったのですよ。ローマ会議、食糧のローマ会議で宣言を採択しているのですよ。飢餓に悩む人たちのために食糧の安定供給をしようという宣言をしたのですが、守られないのですよ。そのときの日本は、はっきり言いますと腰引いていました。これは財政負担を伴うから腰引いていたのですよ。
これは時間がかかっちゃって、少し温度が上がると大変だから、これは、それこそ石川忠雄先生が座長をやっていらっしゃる協力者会議というのも既にあると思うのですね、そこでひとつそういった議論があったということも御相談いただきたいのですよ。 それで、この法律案、通るか通らぬか、これからなんだけれども、私は、このとば口の大学審議会というのが本来ちょっと趣旨に沿わない、中身の趣旨に沿っておらぬと考えるのです。
○弥富事務総長 まず最初に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員倉石忠雄先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、弔詞を朗読されます。 次に、議長発議によりまして、老人保健法等の一部改正案の参議院回付案を議題といたします。社会党、公明党、民社党、共産党が反対でございます。
例えば、石川忠雄先生、慶応の塾長さんですとか、それから天城勲先生、放送教育開発センターの所長ですとか、いろいろな方からもペーパーをいただいておりまして、そういったことでは先生方並びでお出しいただいているということでございます。決して田中先生をねらい撃ちして撤回していただいたというようなことは全くございません。
恐らく大臣、その御報告は聞かれていらっしゃると思いますけれども、その中で、これは公述人として出席されました明治大学の政治経済学部の教授吉田忠雄先生が指摘されておったことでございますが、今回の健康保険の改正について、この先生の御意見ですと、一割負担は自分はあったっていいと冒頭におっしゃっておりました。ただし、今回の改正が、いろいろ内容を見ていくと、結論は反対だ、そういう御意見です。
岸内閣の時代でありますが、政府が労働大臣の諮問機関である労働問題懇談会の答申を受けたのが三十四年の二月、それを受けて、当時はただいま委員長をしておられる倉石忠雄先生が労働大臣であったが、直ちに閣議においてその答申を了承して、政府としても声明みたいなものを出しておられる。これは、もし御承知でなければあとで読み上げます。そのときから問題になっているのです。
それで、植民政策の大家であった矢内原忠雄先生もはっきり言っておる。マルタ、ジブラルタルと同じように、沖繩は軍事的植民地であるということを言っておる。
いいたしておきたいのは、私が説明いたしましたように、二十六年に採択される際には、これが日教組の運動規制という形でなくて、教師の教科書というもの、参考書といいますか、指標として望ましいあり方として出されたということ、それから解説書というものは、大会において一切論議されていないということ、それから「新しく教師となった人々に」というのは、日教組の機関で一度も採択されたことでなくして、資料として配付された、たとえば矢内原忠雄先生
○藤山参考人 ただいまの菊川忠雄先生の御質問にお答えいたしますが、もちろん本問題については絶対的に阻止したいというのが私の意見でございます。しかし国家が計画を立てて、もはや万やむを得ない場合においては、強い条件をつけていただきたいということだけでございます。